1. トップページ
    2. 企業情報
    3. 研究活動
    4. ハピ研
    5. ハピ“プロ”インタビュー
    6. バックナンバー

青山ハッピー研究所 ハピ研

「人がしあわせを感じるモノやコトって、何だろう?」衣・食・住・美など生活に密着したテーマでその答えを考える“しあわせ探しの情報サイト”

ハピ研について

ハピ”プロ”インタビュー | 「その道のプロ」にインタビュー。そこに在る「しあわせ」をレポート

妻と一緒に生活し、仕事ができる。こんなにハッピーなことはほかにありません。/マット・アルトさん

翻訳家のマット・アルトさんは、日本のオタク文化に代表されるポップカルチャーを英語圏に紹介する活動に取り組んでいます。小さい頃から日本のロボットアニメが大好きで、原語で作品を楽しみたいという理由で日本語を学び始めたのが、そもそもの日本文化との出合い。一人のファンとして日本アニメやマンガ、そしてゲームに接するうちに、いつしか一人のクリエイターとして、ビジネスで日本と関わるようになったマットさん。その成功の陰には、今まで二人三脚でともに歩んできた奥さまの存在がとても大きかったと言います。いま、ビジネス、プライベートともに充実しているというマットさんが描く“幸せ”のカタチとは、一体どんなものなのでしょうか。じっくりとお話をうかがいました。

母が買ってくれたロボットのおもちゃが
日本のオタク文化にハマるきっかけに

日本文化に興味を持ったきっかけを教えてください。

小さい頃から『スターウォーズ』などのSF映画が好きだったのですが、興味があったのは完全にロボットだけだったんですよ。ルークやハン・ソロなどが登場する場面には興味を持たず、C3POとかR2D2などロボットが登場するときだけ、スクリーンに釘付けになるような子どもでした。そんなわが子に対して、母がある日、日本からの輸入品のおもちゃをプレゼントしてくれました。確か『ジャンボマシンダー』というシリーズで、70年代に流行っていた日本アニメの巨大ロボットです。それを見たときの衝撃が物凄かった! 今まで見てきたロボットとは明らかにデザインが違って、見れば見るほどその不思議な魅力にハマっていました。そこから日本のアニメやマンガに興味を持つようになって、自分でいろいろと情報を収集するようになりました。ただ当時のアメリカでは、日本のロボットアニメはほとんどTV放映されていませんでしたし、マンガも手に入りにくかった時代。アジア系のギフトショップや通販などで、ロボットのおもちゃを買い漁るぐらいしか出来ませんでした。だから、ガンダムやマクロスの姿は知っているけれども、実は動いている様子を見たことがなかったんです(笑)  今では、日本で放送されたアニメが数週間後には、アメリカでも放映されるようになりましたから、時代も変わりましたよね。

日本語を学んだのも、アニメやマンガ好きが高じてのことですか?

外国人向けに日本のロボット玩具を紹介した本「Super #1 Robot: Japanese Robot Toys, 1972-1982」

本格的に日本語を学んだのは高校時代。地元、ワシントンDCの高校に日本語クラスが新設され受講したのがきっかけでしたが、その目的はもちろん原語でアニメやマンガを楽しむため。学校で学んだ知識を生かして、日本語で書かれたガンダムの本を買って、モビルスーツの名前を暗記したりしていました (笑) そのクラスには数は少なかったけれど、同じようにアニメやマンガが好きで、日本語を学んでいるコアな友だちがいました。一緒にグッズを探しに出かけたりして、楽しい毎日を過ごしていたのをよく覚えています。初来日を経験したのも高校時代。ただ、本格的に日本で生活をしたのは、大学入学後です。日本語を専攻していたため、交換留学生として日本に住むことになったんです。ホント、僕にとっては天国のような1年間でした(笑) テレビをつければ、滅多に見られなかったアニメ番組が流れていますし、読みたかった漫画も苦労せずに購入することができましたし。渋谷を歩いていて、たまたまアニメショップを見つけたときは興奮しました! 毎日が楽しくて、そういえば、一度もホームシックになったことはありませんでしたね。

妻とのタッグでゲームソフトを翻訳
アメリカで実績を作って日本進出

翻訳家として活動するようになったきっかけは?

大学卒業後、数年間はワシントンDCでいくつかの職を経験したのですが、ちょうど特許庁で公務員をしていた頃、友だちから日本のRPGゲームソフトのテキストを英語翻訳してみないかという話をもらいました。当時、自分のやりたいことは何なのかと迷っていた時期でもあったので、すぐに話を引き受けました。ただ公務員の仕事との両立は厳しかったのと、日本語のスラングに自信がなかったので、当時、まだガールフレンドだった妻と一緒にチームを組むことにしたんです。彼女はオタクではなく、一般的な目線を持ったごく普通の日本人女性。アメリカ人でオタク目線の僕と妻のコンビはものすごくバランスが良くて、出来上がった翻訳もまずまずの評価を受けました。次第にビジネスも順調に広がっていき、公務員を辞めてアメリカで会社を設立。そこから数年間はアメリカで活動をしていましたが、打ち合わせでアメリカと日本を往復することも多かったので、どうせならと2003年に拠点を日本へ移しました。まぁ何よりも、ずっと前から日本に住みたいと思っていたので、迷いはなかったですね。現在はゲームソフトやアニメーションなどの翻訳はもちろん、ゲームの内容をアメリカ文化に則った形で変化させる“ローカライゼーション”のプロデュース、ゲーム内のアニメシーンの英語版の吹き替えのコーディネートなども手がけています。

どんな仕事が印象に残っていますか?

日本の労働キャラを紹介した本「Hello, Please: Very Helpful Super Kawaii Characters from Japan」

いろいろなタイトルに関わりましたが、思い出深かったのはゲーム『ガンダム無双』の翻訳を担当したとき。子どもの頃から好きだったアニメに関われるなんて、こんなにうれしいことはありませんでした。また『ドラゴンクエスト[』を任されたときも感動しましたね。子どもの頃にドラクエ1や2をプレーしていたので、その制作に自分が加わることになったのは、ホントに不思議な感覚でした。趣味を仕事に出来るなんて、こんなに素晴らしいことはありませんよね。人生の半分以上を仕事場で過ごすわけですから、好きなことを仕事に選ぶのはベストでしょう。ただし、今はアニメやマンガ、ゲームは自分で観たり、プレーしたりするのもではなく、「自分で作るもの」だと意識するように心がけています。単なるファンは卒業して、クリエイターの一人として自覚を持ち、ビジネスとして取り組むこと。その視点がなければ、決していいモノは作れないのではと思っています。まぁ、といいつつも、本当の意味でファンは卒業できていませんが・・・(笑) 馴染みのグッズショップに行ったりすると、アレもこれも欲しくなりますし、好きなアニメ番組が始まるとテレビに釘付けになりますから。やっぱり僕は日本のオタク文化が大好きなんだなぁ、と改めて実感します。

12

ハピ”プロ”インタビュー メニュー

プロフィール

マット・アルトさん(翻訳家)

アメリカ ワシントンDC生まれ。ウィスコンシン州立大学で日本語を専攻。卒業後、米国政府特許庁に就職。日本語の翻訳家として勤務する傍ら、日本のゲームソフトの翻訳業にも携わる。2003年に来日し、株式会社アルトジャパンを設立。ゲームを中心に幅広いエンターテイメントの翻訳にかかわる。また同時にフリーランスライターとして日本のポップカルチャーをアメリカに紹介する仕事も手がけ、主な著書に巨大ロボットおもちゃの写真集「Super #1 Robot: Japanese Robot Toys, 1972-1982」(Chronicle Books 、2005)や、日本の“労働キャラ”を集めた「Hello, Please: Very Helpful Super Kawaii Characters from Japan」(Chronicle Books 、2007)などがある。

しあわせタイプ診断

今回の”プロ”のしあわせタイプ

マット・アルトさん

仕事と個人の充実が幸せ あなたのしあわせタイプは?