- 竹鶴とリタの物語
- ニッカウヰスキー創業80周年
- 開催日時
- 2015年3月10日(火)19時~
- 講師
- アサヒビール㈱マーケティング本部 ウイスキーアンバサダー 簑輪陽一郎さん
- このイベントは
終了しました
本日のイベントは、「竹鶴とリタの物語」~ニッカウヰスキー創業80周年記念~です
毎月恒例のイベントですが、本日もたくさんの方にご参加いただいています
アサヒグループのニッカウヰスキーは、おかげさまで昨年創業80周年を迎えることができました
このニッカウヰスキーの創業者であり、日本のウイスキーの父と呼ばれる竹鶴政孝は、青年期に関西で学び、単身渡英、帰国後日本初のウイスキー蒸溜所の建設に携わりました。
本日は、ウイスキー造りに人生をささげた竹鶴政孝の軌跡を、妻リタとの愛あふれるエピソードとともにたどっていきます
講師は、名物講師のウイスキーアンバサダー 簑輪陽一郎さんです。
まずは、「竹鶴ピュアモルト」で乾杯です!
竹鶴は広島県竹原にある日本酒の造り酒屋(竹鶴酒造)の三男に生まれ、大阪高等工業学校の醸造科に入学しました。
しかし日本酒より洋酒に大変興味を抱いていた竹鶴は、在学中ながら日本で当時指折りの洋酒メーカー「摂津酒造」に入社したのだそうです。
社命によりウイスキー造りを学ぶため英国グラスゴー大学に聴講生として留学しましたが、知識だけでなく「技術」を習得したいと、ウイスキーの本場スコットランド各地の蒸溜所を訪ね歩き、実習を願い出ました。
しかし、当時ウイスキーはスコットランドの自由と独立の象徴、なかなか簡単には他国の青年に技術を教えてはくれませんでした
何度も断られながらようやく実習が叶ったのが、偶然にも伝統ある優れた蒸溜所だったそうです
実習先では、メモをとるのも禁じられていたそうで、必死で目で耳で手で覚え、帰宅してから詳細にノートに清書しました。
これが後に「竹鶴ノート」と呼ばれており、日本におけるウイスキー造りの教科書となりました
このノートのおかげで、現在、私たちが気軽にジャパニーズウイスキーを楽しむことができているのですね~
いよいよ、竹鶴政孝と妻リタについてのお話、出会いとその後の2人についてのお話です
現在NHKで放送中の「マッサン」のお話も交えながら、楽しく進んでいきましたよ
そんな強い絆の2人にも、戦争という避けられない試練がありました。
リタが亡くなったあと、竹鶴は長く暮らした余市の町と蒸溜所が見下ろせる丘にお墓をつくりました。