- 「アサヒ スーパードライ」30周年!
- 「アサヒ スーパードライ」の魅力をお伝えします。
- 開催日時
- 2017年3月17日(金)18:30~19:30
- 講師
- アサヒビール㈱マーケティング第一部 松葉晴彦
- このイベントは
終了しました
今年の3月17日は「アサヒ スーパードライ」発売30周年を迎えました
記念すべきこの日に、「アサヒ スーパードライ」開発担当者から、「スーパードライ」誕生のヒミツ、そして美味しさのヒミツについて、お話しをお聞きしていきます。
金曜の夜ですが、たくさんの方にご参加いただいています
まずは、アサヒビール前身の「有限責任大阪麦酒会社」のお話から教えていただきました。
1889年(明治22年)11月に創業し、1892年初めて朝日をデザインした「アサヒビール」を発売しました
生産工場は吹田村醸造所(現在の吹田市アサヒビール工場)。
その後、大阪麦酒(現アサヒ)、日本麦酒(現エビス)、札幌麦酒(現サッポロ)が、大合同し、大日本麦酒という大変大きな会社になりました。
メーカーシェアが、最高78.8%に上る売上げだったので、1949年(昭和24年)国の命令により、現在のアサヒビールとサッポロビールに分割されました
その後、東日本地区をサッポロビールに譲渡し、販路を大きく失ったアサヒはシェアを落とし続け、一時は夕日ビールと揶揄される時代もありましたと、本日の講師、アサヒビール㈱ マーケティング本部 マーケティング第一部 次長 松葉 晴彦さん
ここで、早速「アサヒ スーパードライ」で皆さんと乾杯しました
今日は「アサヒ スーパードライ」の誕生日なので、「誕生日おめでとう~かんぱいぃ~」
さて、お話は続きます
シェアが下がり続けて、会社の存続が危ぶまれていた頃、(旧)住友銀行から就任した、ネアカ社長 村井勉氏の登場で、現場のムードが少しずつ変わって来たそうです
当時まだ広まっていなかった、お客様満足の追求など経営理念を策定したり、コーポレートマークと呼ばれるロゴを作成し、元々ネアカ集団だった社員の士気を更に高め、心を一つに前進する集団へと導きました。
その後同じく(旧)住友銀行から就任した、樋口廣太郎社長時代に、アサヒビールは大きな転機を迎えます
マーケティングの無かったビール業界にマーケティング理論を取り入れ、ある仮説を導き出しました。
「常識を打ち破るアサヒの仮設⇒嗜好は変化する・お客様は味がわかる」を立て、仮設実証のため、大規模な消費者嗜好調査を実施しました
その調査は、ありきたりのアンケート調査ではなく、1対1でマーケッターとお客様が向き合いご意見を聞かせていただく調査でした。当時は欧米食も根付き食生活が大きく変化している頃でした。
その結果分かってきたのが、スッキリして飲みやすい、和・洋どんな料理にも合う、飲み飽きないビールを、お客様は求めていると・・・
皆さん熱心にお聞き下さっています。
調査の結果を踏まえ、新商品開発に着手、1986年発売の「コクキレ」ビールのヒットを経て、更に翌年次世代に向けた新商品、これまでになかった「辛口」というビールの新しいコンセプトを創り出し、1987年3月17日「アサヒ スーパードライ」を発売しました
松葉講師のお話、分かりやすくてとっても面白かったですよ
後半は、この「アサヒ スーパードライ」の販売拡大への道のりのお話、マーケッターの考えた徹底した戦略のお話、「ドライ戦争」と呼ばれた他社追随のお話、"鮮度"という価値で乗り切った危機のお話、新たな付加価値の創造「氷点下のスーパードライ」のお話。どれもとても興味深いお話でした~
本日発売30周年を迎えた、「アサヒ スーパードライ」 "乾杯!"心がつながるうまさを、ぞくぞくと。
これからも皆様に愛され続けるために、ますます磨き続けて行きますので、ご期待ください
と熱く語ってくださった松葉講師でした
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