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書は人なり、といわれます。本来、文字には、書く人の感情や思いが込められていることを、パソコンやケータイに慣れ過ぎた現代人は忘れがちかもしれません。若手書家として注目されている紫舟さんの創作する書は、もともと文字には実に豊かな表現力が備わっていることを驚きとともに思い出させてくれます。従来の書にとどまらず、金属を用いた文字のオブジェの創作や他ジャンルのアーティストとのコラボレーション・ライブなど先鋭的な活動を続ける紫舟さんの筆から生み出される「幸せ」の形を探りました。
書家になると決断した瞬間
心がスッと軽くなった
書との出会いについて話していただけますか。

幼稚園の頃、祖母の希望で書道のお稽古に通い始めたのが、書との出合い。その後、高校卒業まで習い続けましたが、正直な話、「習わされている」という気持ちが優先し、面白いとまでは感じていませんでした。「スキあらばやめたい」とも、いつも思っていましたから(笑)。それでも、始めた時期が早く、書の先生が熱心で、さらに練習量が多かったという理由から、周囲よりも上手に書くことができました。他の習い事が長続きしなかったのに、書道を最後まで続けたのは、子ども心にも自分の自信の小さな礎になっていたことに気付いていたからでしょう。出身は愛媛県で、海山の自然に包まれながらも、昔から紙製品の製造が盛んな土地でした。そのため、幼い頃から上質な手漉きの紙を使わせてもらえたのは、今、思えば恵まれたことでした。
その後、書家になるまでの経緯をお話ください。

高校卒業後は、大阪の大学に進学して英語を専攻しました。書道? この頃はまったく忘れていました(笑)。筆を執るのは、年賀状を書く時くらいだったかと。大学時代は英語を学ぶかたわら、京都の道場で合気道を習ったり、工房に通い手作りで靴を作っていました。卒業後は、神戸の一般企業に就職。そこで3年間働いた頃、人生を見つめ直すために退社しました。その会社に勤め続ければ、いつ頃に結婚し、何歳には年収がこれくらいになって――と、その後の人生が容易に計算できました。たしかに安定はしていますが、私にとっては先が見え過ぎることが、逆に不安でした。自分の思い描いた人生はもっと違うような気がしていました――。そこで、3ヶ月間、それまでの人生を通して背負い過ぎたものを下ろし、「自分はどう生きたいのか」「何が好きなのか」と、自分の本心に向き合い続けました。そんな自問自答の末、最後に残ったのが「書家」という道だったのです。書家になると決断した瞬間、心がスッと軽くなったのを今でも鮮明に覚えています。
書道の本場・奈良での生活を通し
「生きること」の本質に触れた
書家としてデビューした頃についてお話ください。

最初は神戸を拠点にして個展を開いたりしていましたが、作家活動としては、作品が売れても、場所や額代を差し引くと、ほとんど利益はありませんでした。そこで、書家としての成長を求め、書の本場である奈良にアトリエを移しました。奈良にはたくさんの書家がいて、また神社仏閣が多く書の需要が高いため、墨や筆・紙漉きなどの職人さんも集中しています。この奈良で過ごした3年間は、私を大きく成長させてくれました。神戸にいた頃は、OL時代と変わらず、どこかあくせくし、時間の隙間は埋めなくてはいけないと思っていました。それに、「仕事=生きること」と思い込んでいましたが、奈良での生活を通して、「生きること=生きること」でしかないということを知りました。それは、誰かに教えられたというよりは、奈良の人々の暮らしを知り自然に感じ取ったことでした。というのも、奈良では、時間を仕事のために過度に犠牲にせず、自分の時間をきちんと確保し、家族と食事したり、仲間と銭湯に集い会話を楽しむ人々をたくさん目にしました。さらに、私のような外部からの人間にもとても開放的に接し、人と人とのふれあいを楽しんでいた。大都市では「ムダ」と見なされる、一見、非効率なことが、奈良では幸せの源になっているのを体感し、「生きるって、こういうことなのか」と教えられた気がします。それに、人生において大切なものと向き合わなくちゃいけない時、大都市なら仕事や遊び、ショッピングなど、たくさんの逃げ場がありますが、奈良は自分と向き合うしかない。まさに自分の人生を生きるための「修行」にはうってつけの土地でしたよ(笑)。
東京に移られたきっかけは?
奈良で自分の価値観を見つめ直し、やりたいことがはっきりして、2005年に東京に移りました。“日本文化”が根付いているのは、京都や奈良を中心とした関西だと感じます。それに対し、東京は、ロンドンやパリ、ニューヨークと並び、“世界”の感覚を持ち合わせた都市でしょう。書家としての活動を広げるためには、東京という舞台がふさわしいと考えたのが移住のきっかけです。
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